Lost sky(2)
元騎士団長との予期せぬ再会からおよそ半月。古代の塔タルカロンに人類を滅ぼすべく引きこもったかつての英雄との決戦を明日に控え、凛々の明星はオルニオンに滞在していた。街の北にあるやや大きな家屋では、錚々たるメンバーが魔導器のない今後の世界に備えて会談を行っている。
外にいたレイヴンはふと、沈む夕日に目を向けた。地平線の彼方に半分身を隠した陽は紅く、嘗ての身分のままならばここにいたはずであろうあの男を連想させた。
「……はあ……。重症だね、俺様」
あの日からずっと頭の片隅に引っかかっていた……それが、やはりこの場面になって気になってしょうがない。ひとり溜息を吐いてから身を翻すと、レイヴンは街の正門にいるはずのジュディスの元へと歩き出していた。
「あらおじさま、何かご用?」
足音に振り向いたジュディスはレイヴンを見止めると、いつもの微笑みを浮かべてそう尋ねてくる。
「ちょっと、頼みがあんだけど」
恒例となっていた挨拶代わりの口説き文句もなしにそう切り出すあたり、自分は相当アレクセイのことを気にしているらしい。言い終わるや否や思わず苦笑を浮かべる。
「バウルで行きたい所があるのね? 行き先はそう……ユルゾレア大陸、かしら」
だが本題をジュディスに先回りされ、その苦笑もすぐに引きつった。
「あっはっは……さすがジュディスちゃんねー」
「ということは図星ね、ふふ。でも、おじさま1人で行くつもりなのかしら?」
「あー……まあ、ね。個人的に顔見ときたいだけだから、他のみんなまで付き合わせるのも悪いでしょ、明日はデュークの野郎との決戦だし。……んまあ、どっちにしろジュディスちゃんには付き合ってもらわにゃならんけど」
「あら、私のことは気にしなくても結構よ。……それに、同行者は私だけではないみたいだし」
「へ?」
ジュディスの言葉と視線に背後を振り向いてみると、いつの間にかそこにはエステルとリタ、そしてつい先ほどまでフレンと熱い激闘を繰り広げていたはずのユーリが立っていた。
「お、お前さん達、どうして……?」
思わず目が丸くなるのを感じながら問うてみると、最初に口を開いたのはユーリ。
「なぁに、俺はこないだ知り合った、住んでる所が辺鄙すぎて世界の流れに取り残されそうな奴らが気になっただけだ。これから魔導器が使えなくなるっつーのも伝えておいた方がいいだろうからな」
「レイヴン、アレクセイのことを心配しているのはあなただけじゃありません。彼がああなってしまったのには、私達皇族にも原因があります。だから……」
口達者な青年に続いてそう素直に答えたのはエステルだ。自分もあの男に酷い仕打ちを受けていながらそんな言葉を口にできるのは何も彼女がお人好しだからという理由だけではないだろう。この姫君も知っているのだ……かつて、真面目に、誠実に、理想の帝国を築こうとしていた騎士団長の姿を。
「ああ、それとパティから伝言だ」
思い出したように、ユーリが再度口を開く。
「『あやつの記憶が戻ったらおっさん諸共殴ってやるから覚悟しておれ!』だとよ」
そして代弁した、彼と強い因縁のある人間の中でかつての彼を知っている訳でもなく、憎しみしか抱いていないであろう海賊の少女の言葉。本当なら半月前のあの時に問答無用で撃ち殺していてもおかしくない位で、随分と気を使わせてしまった……というか無理をさせてしまったように思う。
「おー怖い怖い。それじゃ、そろそろ思い出してもらった方がいいかもねぇ……」
わざとらしく肩をすくめてみせながら冗談っぽくそう口にするが、実際アレクセイをずっとあのままにしておく訳にもいくまい。
「……んで、リタっちは何してんの?」
「あ、あたしは明星壱号の改良の息抜きに、ちょっと空でも散歩しようと思っただけよ」
最後にそう言い訳したのは、腕を組み赤くなった顔をぷいとそむけたリタ。
「へぇ……高いところ苦手なのに?」
「べっ、別に苦手なんかじゃないわ! ちょっと嫌いなだけよバカ!!」
聞き返してやると、更に顔を赤くして必死に言い返してくる。だがこの少女にも、アレクセイの件では何かと気を遣わせてばかりだ。
「ぷッ……ははははは……っ。
うん、ありがとね、4人とも」
こみ上げる笑いを隠そうともせず肩を震わせてから、レイヴンはそんなリタを含んだ同行者達に感謝の言葉を述べた。
ユルゾレアの夜は寒い。雪こそめったに降らないが、ゾフェル氷刃海からの冷えた空気が流れ込んでくるため日が暮れるとそれが顕著に気温に現れる。霧が多いのも、トルビキア大陸からの湿気を多量に含んだ温暖な空気が、その空気によって冷やされる為だ。
夕食を済ませたレクスとリーシャは暖炉にあたりながら、今のところこの微妙な気候の中以外での生育が成功していない研究対象の樹木について各々の所見を述べていた。
この半月の間に一度、運休から復活した定期便がこの大陸に泊まったことがあった。乗組員の話によると、あの空の異常(以前立ち寄ったあの旅人達によれば星喰みというらしい)に混乱していた上、得体の知れない魔物にノードポリカが襲われたこともあり、こんな辺鄙なところへの定期便どころではなかったらしい。
せっかく久々に来た定期便だ、ここから出て行くつもりはないのかと、リーシャは恐る恐るレクスに尋ねてみた。
「君が私にそれを望むのならそうする。だが、個人的にはまだ君の手伝いをしていたい」
苦笑しながらレクスが紡いだ返答に、リーシャは安堵の表情を隠さなかった。彼が何者なのかは未だ分からぬままが、「帝国の優秀な研究者でも出来なかったことが出来る筈がない」「結界魔導器があるこの世の中で今時木に頼るなど馬鹿げている」と、恋人と共に研究をしていた頃から誰も相手にしてくれなかったこの研究に、レクスは心から賛同してくれ、そして本気で取り組んでくれた。知識量と発想、着眼点を差し引いても、彼は最高の研究パートナーだ。
「本当に、君には世話になってばかりだな」
研究に関する話が一段落したところで、レクスがそう漏らした。
「どうしたの? 急に」
リーシャはが首を傾げそう尋ねると、彼はまた苦笑を浮かべ、
「いや、すまない。ただ、今更だが心底申し訳ないなと思ってな……君にも、彼にも」
そう答えて、リーシャの指輪に目を向ける。
「どこの馬の骨とも知れぬ中年と同居など、面白い訳がないだろうに」
結婚の約束までしていたという恋人から貰ったその指輪は、今なお彼女の左の薬指で美しく輝いている。そもそもこんな場所に移り住み、周囲から理解の得られない研究を引き継いでいるくらいだ。よほど強い想いで結ばれていたことは明白で、レクスは(あくまで研究上のパートナーとはいえ)そこに割り込んだ形になる。
「いいじゃない、私は気にしていないわ。あの人は多少妬いてるかもしれないけれど」
しかし指輪に右手の指を添え、リーシャは首を振る。
「ま、研究が成功すれば文句ないでしょ」
そう加えて少しだけ寂しそうに笑った彼女の何と気丈なことか。
「……ありがとう、私に居場所を与えてくれて」
記憶を失った自分に、行くあてのない自分に、本当は思い出すのを恐れている自分に。
その気丈さと優しさでこんなにも長い間世話をしてくれている彼女に、レクスは改めて礼を言った。
「そんな大層なものじゃないわ、あなたに助けられているのは私も同じだもの。
こちらこそ、ありがとう」
もう一度微笑んで、リーシャも礼を言い返す。
「……さ、それじゃあそろそろ片付けましょうか」
それからすっかり冷めた食後の紅茶を飲み干して、彼女は席を立った。カップを持って向かうのは、夕食の食器が浸かっている流し台。
「ああ」
短く返事をしてレクスも自分のカップを空にして立ち上がり、彼女を手伝うべく後に続く。本来なら食器洗い自体を代わりたい所ではあるが、片腕では逆に効率が落ちてしまうため、不本意ながら洗い終わった食器を食器棚に戻すという役割に甘んじていた。
そう言えば、自分に関する数少ない情報として「どうやら右利きだったらしい」というのがある。意識が戻ってから最初に食事をとった時、スプーンを左手で握る違和感とぎこちなさが半端でなかったためだ。現在はスプーンやフォークは大分使い慣れて来たものの、未だに文字は上手く書けなかったりする。
「あっ」
確かに不便ではあるが至極どうでもいい情報について考えていたレクスの前で、流しの前に立っていたリーシャが少し慌てたような声を上げた。
「どうした?」
「ああ、ごめんなさい、指輪が落ちちゃって……」
食器洗いの為に外そうとしていたのだろう、流しを覗いてみると水の溜まった皿の中にエメラルドの指輪が沈んで――
「っ!?」
それを視認した瞬間、レクスの脳裏で何かがはじけた……気がした。
「レクス!?」
続いて襲ってきた激しい頭痛に、思わず床に膝をつく。リーシャが今度は正真正銘慌てた声で自分を呼ぶ声が聞こえる。
「あ、あ……っあ!」
「どうしたの!? 頭が痛むの!?」
テーブルの足にもたれかかり、自分の頭に手を添えて髪をひっ掴む。
何かが頭の中に流れ込んでくる――いや違う、何かが湧いてきている。頭の、記憶の奥底から。
皿に溜まった水が海に、指輪が建造物に、エメラルドが同色の巨石に……脳内で、勝手に姿を変えていく。
「ああああああああああああああああああああああああああ――!!」
意味のない母音の羅列……だがそれが増える度に、確実に脳裏に蘇ってくる単語。
帝国ザーフィアス騎士団評議会平民貴族ヘルメス式戦争親友部下始祖の隷長心臓魔導器術式爆発血ギルド宙の戒典満月の子魔核聖核ブラックホープ号道具ヘラクレス御剣の階梯理想野望覇道ザウデ不落宮――
災厄……星喰み。
「――――!!」
それは、もはや声にならぬ絶叫。肩を掴み、懸命に彼の名を呼び続けていたリーシャの手がびくりと震えた。
「旦那! リーシャちゃん!」
着いて早々、家の外にも聞こえてきた尋常でない悲鳴にノックもなしに扉を開ける。
中ではアレクセイが頭を抱えてうずくまり、その隣で彼を抱えるようにしていたリーシャがハッとこちらを見上げてきた。
「あ、あなた方、どうして……!?」
「そんなことより、一体何があったんです!?」
突然の来訪者に驚愕するリーシャの言葉を遮って、明らかな異常の理由をエステルが問う。
「そ、それが――」
だがリーシャが答えようとした時、エステルの声に反応したかのようにアレクセイの方が跳ね、ゆっくりとその顔が上がる。
そしてその双眸が来訪者達の姿を捉え――
「シュ、ヴァーン……エステリーゼ……様……?」
震える声で彼が紡いだ言葉に、レイヴン達は全員息をのむ。
「きゃっ!?」
瞬間、アレクセイが急に立ち上がり撥ね除けられるような形になったリーシャが大きくのけ反る。それに構わず、彼は続いてレイヴン達の方へ向って突進してきた。その顔は真っ青で、極限まで見開かれた目と流れる汗が彼の動揺を物語っている。
「てめっ……!」
先頭且つ正面にいたユーリが、反射的に刀に手をかけた。だがアレクセイはそれにも構うことなく、そんな青年を異常なまでの力で押しのけて、他の者にも目をくれず、家の外へと飛び出して行く。
『………………』
一瞬の出来事に、リーシャを含めた一同はしばし呆然とするばかり。
「……っのやろ!」
すぐに我に帰ったのはやはりユーリで、舌打ちしながらその身と長髪を翻しアレクセイの後を追おうとする。
「待て!」
しかし、突然張り上げられた大声に彼と、彼に続こうとしていたエステル達の足が止まる。
「ごめんみんな……大将の、好きにさせてやって……」
声の主であるレイヴンが穏やかな声でそう続けると、ジュディスがやや鋭い声で言い返す。
「好きにさせたら死にかねないわよ? 彼」
黙したままレイヴンを見つめ、ユーリ達も彼女の言葉に同意する。
もはやこの場の全員が状況を理解していた……アレクセイの記憶が戻ったことを。
「分かってる……でもきっと、あの人は自分のやらかしたことに耐えられないだろうから……無理矢理生かしても、多分俺みたいになっちまうから……」
つい半月前、つい数時間前の自分の言葉と完全に矛盾する言葉を、レイヴンは口にする。自分も動揺しているのか、今までその本心に蓋をしてきていただけなのか、いずれにせよ支離滅裂な自分の言動に仲間が苛立つのも当然で、
「ふざけてんのあんた!」
小さな拳と共に跳んできたのはリタの声。
「耐えられないなら今度こそ支えてやればいいじゃない! あんたみたいになるなら、ならないようにしてやればいいじゃない!
変な同情するくらいなら、あたし達があんたの命を預かったみたいに、あんただってアイツの命預かるぐらいのことして見せなさいよ!!」
めり込んだ拳はいつぞやの移動要塞の時のように重く、脳髄に響く。
「リタっち……」
「あんたが追わないってんならあたしが追う! ひっ捕まえて、エステルとパティの前に引きずって行ってやるから!!」
レイヴンの返答を待たず、リタはそう吐き捨てるとアレクセイの後を追って家を飛び出して行った。
「おっさん」
「レイヴン」
「おじさま」
殴られた頬を押え立ちすくむレイヴンを、残る仲間達が呼び、それだけで行動を促す。
「は、は。……やっぱ敵わんね……。
……リーシャちゃん、頼むわ」
心底参ったという様子で苦笑し、そう言い残すと、レイヴンもまた羽織を翻してアレクセイとリタの後を追って出て行く。
「……やっぱり、知ってたんですね……彼のこと」
彼らの一部始終を見ていたリーシャが、床に座り込んだまま残った3人に声をかけた。
振り向いた3人……特に、レクスにエステリーゼと呼ばれていた少女が気まずそうにこちらを見てくる。だが、別に自分は腹立たしい訳ではない……レクスの様子と彼らの様子を見れば、取り戻した記憶の中にとてつもなく――それこそ自分に話すのを躊躇う程に重いものが含まれているのは、十分予想できたから。
「教えてください、あの人が一体誰なのか……」
聞かずに後悔するよりは、聞いて後悔する方がましだ。そう自分に言い聞かせて、リーシャはその望みを口にした。
久々の疾走に息が切れる。片腕を失った身体は何度もバランスを崩し、よろけたりつまずいたりしそうになるが、足が止まることはなかった。
林を抜け、辿りついたのは海岸沿いの小高い丘。といっても海に面した部分は浸食の為切り立った岩肌がむき出しになっており、どちらかというと崖のイメージに近い。
開けた視界に映るのは、暗い海と、空と、更に暗い異形のモノ。太古の災厄、星喰み……自分が、呼び出したモノ。
「はっ、っは……はっ、はァははっ……っははははっはっはははは――っ!!」
切れた息のまま、込み上げてくる笑いに身を任せる。不足して行く酸素に、喉と肺と腹筋が悲鳴を上げる。構わない、いっそ潰れてしまえ。
涙目は星喰みを捉えたまま、腹を抱えて背中を折りながら、気が触れてしまったかのように笑う、笑う。
「ははははははははっ……げほっ、はっはは……」
やがて咳が混ざりはじめ、遂には笑い声も収まる。
ひとしきり笑ったアレクセイは体勢を戻し、静かに空を見上げる。その顔からは、いつの間にか表情が消えていた。
そして、さも自然な流れであるかのように絶壁へと足を踏み出し――
「待ちなさいよ!」
突如響いた少女の声に、その動きが止まる。
振り向いてみれば、背後にいたのは帝国の魔導士リタ・モルディオ。肩を大きく上下させながら、こちらを睨みつけてきている。
「……邪魔をするな」
アレクセイは無表情のまま、何の感情も込めず言い放った。
だがリタは怖じた様子もなく首を横に振り、ぴしゃりと彼のことと場を拒絶する。
「嫌よ。あんたには、地べた這いつくばらせて、謝らせたい人間がごまんといるんだから。
生き残った以上は罪を償いなさいよ……死んで楽になろうなんて許さない」
一歩踏み出し、アレクセイに迫ろうとするリタ。しかしそれに合わせてアレクセイが絶壁へとにじり寄って見せるとその動きを止め、代わりに拳をきつく握りしめる。
「無駄だ、どうせ私に科せられるのは極刑しかあり得ない」
「だったら死ぬのはその時までとっとけばいい! それまでの間で、出来ることもあるでしょ!?」
「もういい……私はもう、疲れた」
「一人で勝手に暴走しといて何が疲れたよ! あんた、ふざけるのもいい加減にしなさいよ!!
おっさんだって……ホントは苦しいのに、辛いのに、歯ぁ食いしばって頑張ってんのよ!?」
「……そうだな。私は愚か者だ……」
ザウデで対峙した時とも、まだ本性を見せていなかった時とも違う、卑屈で無気力なアレクセイ。2か月前に再会した時の自信のなさそうな笑みすら、その表情には残っていない。
「君達には、感謝している……。何もかも忘れた私に、本来の私には似つかわしくない……安穏な生活を送らせてくれた。
だが結局、私はリーシャまで裏切った。……もういい、どうせ何を以てしても私の罪が消えることはない……ここで死のうが、生きようが」
リタは、いつの間にか彼の視線が自分と別のものを捉えていることに気付いた。少し上がった視線から、その人物はリタより更に後方にいるらしい。
「確かに大将がやらかしたことは消えはしない。だが俺達は、あの星喰みを倒す所まで来てる」
がさりと響いた足音に振り向こうとしたリタの頭に自分の手を乗せ、追いついて来たレイヴンはそう告げた。
「おっさん……」
「ありがとう、リタっち」
彼はそのままリタの頭を撫でおろし、リタの一歩前へと進み出る。
「星喰みを倒す……? 可能なのか、そんなことが」
「ああ、ここの天才魔導少女やら帝国のお姫様やら、たっくさんの人間のご尽力でね」
ようやく、アレクセイの目がわずかに見開かれ、表情が動いた。レイヴンはその場に佇んだまま頷き、続ける。
「これから人は、魔導器を破棄することになる。当然今後、エアルや資源を過剰消費しないモンが、魔導器の代わりとして必要だ……勿論、それを開発する優秀な学者も」
「私にその開発を行えと? 魔導器で世界を破滅に導いた私に、か?」
「何をするかは大将の自由だ。いじけたままここで死んじまおうが、処刑されるまで世界中の人間に謝罪しようが、新しい世界の為に尽くそうが……大将の言う通り、どうせ何をしたって償いなんかにはなりゃしない。
ただ、俺は生きることを選んだ。生きて、星喰み倒して、〝世界のため″とやらに血へど吐いてでも動き続けることを選んだ。それが、お前さんを支えてやれなかった……お前さんに加担した俺のけじめだ」
初めてレイヴンが口にした決意は、アレクセイだけでなくリタの心にも響く。
この男にとっても生きることは苦痛で、恐怖で……それでも彼はそれを選んだ。世界への終わることない贖罪のため、自分への戒めのため。
だが、違う、違う……自分達が彼の命を預かったのは、生きていて欲しかったから……。
込み上げてきた思いを、言葉に出来なかった。代わりに、手を伸ばして目の前の羽織の袖をきつく、掴む。
ふ、とレイヴンが息を漏らす音が聞こえた。
「でもね、こんな俺でも、今では生きてるのが楽しいって思えるようになった。色んな奴の助けを借りて、色んなものを見て、色んなものを感じて……ね。
正直、大将が楽になれるならここで飛び降りるのもアリかなって思いはまだある。けど、これから世界が変わっていくのを、お前さんに見てもらいたい、手伝ってもらいたい。そんで、いつか生きてて良かったって思えればいいな……ってさ」
先程よりずっと柔らかくなった声音で、彼が笑っていることが分かった。
「……今度は、大将独りで何もかも背負わせたりはしない。俺も、付き合うから。
だから……ね? 生きてみましょうや、アレクセイ」
真摯な響きを持った言葉に続けて、まるで友達を誘うように軽く、明るく、レイヴンは小首を傾げて問いかけた。
伸ばした手は、別に取られることを期待している訳ではない。それは言わば象徴、提示――この気持ちは言葉だけではない……彼を、もう独りにはしない。
場を支配する沈黙――それを彩る海の音、風の音……世界の音。
「……まったく、今さら何を言うかと思えば……」
それらを遮り、遂にアレクセイが口を開いた。浮かんでいる表情は、無ではなくかすかな希望。
風に煽られ、はためき、浮かび上がる服の右腕。まるでレイヴンの手に向かって伸ばされているかのような、そんな錯覚さえ生まれる。
「お前がそこまで言うのなら……悪くないのかも知れんな……生きてみるのも」
かつて生きることに絶望していた部下と同一人物とは思えない男の言葉が、絶壁に向いたままだったアレクセイの足先を、続く大地へと戻させた。
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