むしろ寒さが羨ましいくらいに見えてしまうという……。
という訳で熱帯夜でも少し寒く感じられるような小説を目指すことにしました。
ええ、嘘です^^
Heartful Life ♯11:帰るべき場所
それからずっと、あたしは行くあてもなく歩き続けた。財布もない、帰る場所もない、本当にこのままのたれ死ぬんじゃないかって考えが幾度となくよぎる。
(……それもいいかも)
むしろその方が楽なんじゃないかって思うくらいだった。だって、世の中なんてやっぱり面倒なだけだもの。人に傷つけられて、裏切られて、それを恐れるあまり今度は自分を貶めて……ホント、面倒なことだらけだ。
(でも、歩けている内はまだまだ大丈夫か)
そんなことを考えながら歩き続けている内に、日が暮れた。
日が見えなくなった瞬間寒さは一層増し、防寒具も何も持っていないあたしは敏感にそれを感じ取る。それでも構わず、足を動かし続けた。
気がつくと見覚えのある公園を歩いていて、思わず足を止めた。
「……あ、れ……?」
ぐるりと見回してみれば、街灯にぽつんと照らされたベンチ……間違いない、5日前おっさんに声を掛けられた場所だ。
(――ってことは、あたしは1日かけてこの周りを一周してただけってこと!?)
奇跡みたいなのに馬鹿馬鹿しいことこの上ない現象に、あたしの力が抜ける。
同時に疲れもどっと襲ってきて、とりあえずまたあのベンチに腰掛けた。
同じ場所で、同じ格好で、ボーっとしていると、嫌でも思い出すあの時のこと……。ただ今夜はあの夜よりずっと寒くて、時計を見れば時間も2時間ほど遅い。まさか、あの時と同じことなんて起きはしないだろう。
流石に、こんな恩知らずな子娘にあの2人も愛想を尽かしてとうの昔に眠っているに違いない。
(……あー……疲れた)
そんなことを考えている間にも、運動を止めたあたしの身体はより一層冷えていき、ガチガチと奥歯が鳴り始めた。
この疲労と寒さなら、ひょっとしたら本当に死ねるかもしれない。
町中の公園のベンチで、家出娘が凍死……か。カッコ悪いけど、死んだ後の世間体なんて気にしたって意味ないわよね。
……でも、こんなところで死んだら……あの2人に知られるのはほぼ確実だ。
もしそうなったら、あの2人は何を思うのだろう……。馬鹿で、お人好しで、そして人を助ける立場にあるあの2人は――
「………………」
ふと視線を上げると、周辺の建物より少しだけ高い建物が夜の闇の中でもぼんやりと浮かび上がっているのが見えた。ポツ、ポツと、片手で数えられるくらいの部屋にまだ明かりがついているそれは、今日の――いや正確には昨日の昼前にあたしが出てきた、あの2人が住んでるマンション……。
「バカっぽい……」
公園に辿りついてから十数分後、あたしはとあるドアの前に立っていた。
〝オルトレイン″という表札が脇に取り付けられた、何の変哲もないマンションのドア。……自分でもよく分からないまま、ここに戻って来ていた。
(今更戻って……何になるっていうのよ……)
人の助けなんていらない、裏切られるくらいなら最初から信じない……そう思って勝手に消えたあたしに、ここに帰ってくる権利なんてないはずなのに……。
(……あ、そうか……)
そこで浮かんだ答えは、いわゆる発想の逆転。
――確かめに来たんだ……ここにはもう帰れないって……――
あの中年達の顔を、事あるごとに思い出してしまうのが嫌で……それが恋しいと思ってしまうのが嫌で……だからあたしはそれを断ち切りに来たんだ。
意を決して、ドアノブに手を掛けた。
そして――
ガチャ
「……う、そ……?」
何で……鍵開いて……。
何の抵抗もなく下がったドアノブを引っぱってみると、チェーンロックすら掛けられていないドアはいとも簡単に開く。
中を覗いたあたしは、更にその光景に自分の目を疑った。
(どうして、電気ついてるの……?)
半分ほどドアを開けたままあたしが茫然としていると、間もなくして奥のリビングの方からドタドタと慌ただしい音――
「リタっち!!」
飛び出して来たのは、おっさんだった。
「もう、リタっちどこ行ってたのよ!? 散々探したんよ!?」
コートを着たままのおっさんは、勢いよく廊下を進んで来る。……ひょっとして、あたしを探しに行こうとしていたのだろうか。こんな時間に?
「あーもうまたそんな薄着で……こないだ買ってきた服の中にコートあったでしょうが……。ほら、とにかく入って入って。寒かったっしょ、外」
突っ立ったままのあたしにそうまくしたてながらも、おっさんは何故か相変わらずの……ううん、本当に安心したような笑顔だった。
言われるままに玄関に入り、ドアを閉めると、一気に寒さが遮断された。暖かい空気があたしを包み込み、冷えて固まっていた身体がほぐれて行くような感覚を覚える。
その時、おっさんの後ろからもう一つの足音が近づいて来た。確認するまでもない、シュヴァーンだ。
「あ、兄貴リタっち帰ってき――」
だが振り向いたおっさんを押しのけ、彼は黙ったまま無表情であたしの前に立つと左手を上げ――
パァン
あたしの右頬に何かが叩きつけられて、その衝撃で顔が左へと強制的に向かされる。
遅れてそこから伝わってくる、熱と痛み――そこでようやく、自分が殴られたってことが分かった。
「ちょっ! 兄貴――!!」
「今何時だと思っている」
うろたえた様子でおっさんが非難の声を上げるけど、シュヴァーンはそんなの意に介さない様子であたしを見下ろし、普段よりずっと重くて低い声であたしの鼓膜を震わせる。
「君のような娘が、外を出歩くような時間ではないぞ。何かあったらどうするつもりだ」
でも紡がれたのは自分達に迷惑をかけたことじゃなくて、あたしがあたし自身を省みなかったことに対する叱咤の言葉。
……何で……何でこいつらは……。
「……ごめん……なさい……」
何でこいつらは、あたしの予想外のことばかりして……こんなにあたしのココロを揺さぶってくるのだろう。
まだ痛む右頬に手を当てると、そこにあったのは熱と……いつの間にか流れ出していた涙。
しばらくそうして鼻をすすっていると、シュヴァーンは振り抜いたまま右肩の前まで上げていた左手を下ろし、踵を返した。
「……早く上がれ、飯にするぞ」
「……え?」
その言葉に、またあたしは目を丸くする。
「だ、大丈夫? リタっち……。ほっぺた腫れてない?」
シュヴァーンが離れてから、おっさんが心配そうにあたしの顔を覗きこんでくる。
「大丈夫……」
あたしはそう答えて、おっさんと目を合わせた。
「あんたたち……まだ晩ご飯食べてないの?」
「まぁね。リタっち帰ってきた時に一人でご飯なんて寂しいでしょ?」
事も無げに言ってのけるけど、そうとなるとこの5日間であたしが掴んだ限りの生活のリズムを大きく崩してるはずだ。
「……こんな時間まで起きてていい訳? 明日仕事あるんじゃないの?」
「だって、おっさん達が寝ちゃったらリタっちが家の中入れないじゃない。折角渡した鍵も忘れてったみたいだし……。
あ、ひょっとして心配してくれてる? 平気平気、寝不足なんかで仕事に差し支えるようじゃ医者なんてやってらんないから」
おっさんの言葉が、またあたしの深いところに響く。
忘れて行ったんじゃないのに……心配掛けたのはこっちなのに……あたしは、そんないい子じゃないのに……。
「っ……!!」
出会った時のまま、柔らかい笑みをあたしに向けているおっさんにどうしようもなく胸が苦しくなって、また涙があふれた。
「おかえり、リタっち」
俯いて嗚咽を上げるあたしをあやすように、おっさんが優しい声をかけてくる。
自分の家に帰ったって決して言われることのなかったその言葉は、ひどく懐かしくて、温かかった。
「ただっ……いま……!」
でもそれ以上にこんなあたしにも、帰る場所が出来たことが嬉しかった――
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