とりあえずこんな感じで落ち着きました。
表と裏の悲しみはいつか楽園で癒される
アイフリード――パティからの衝撃的なケジメのつけ方の提言から、2日が過ぎた。その後は話は終わりだと言わんばかりに、言い返す間もなくフィエルティア号に連れ戻されてしまったが、あれ以降は特別なやり取りもかわしてはおらず、しかしパティの方は明らかに今までより晴れやかな顔をしていてよもや本当にこれでケジメがついてしまうのかと不安にさえ感じる。
「――ちょっとアレクセイ、聞いてんの」
と、テーブルを挟んで座っているリタに呼び掛けられてはっと我に返った。視線を上げると、何やら紙切れを差し出しながら半眼でこちらを睨んできている彼女と目が合い、お互い手元には分厚い書物を広げている。ああしまった、今は精霊化について彼女と意見交換中であったのだ。
「ああ、すまない……」
慌てて謝りながら、彼女が差し出している紙を受け取る。それにはエアルからマナへの変換に関する術式のメモがびっしりと書き込まれていて、計算の過程があちこちに飛んでいる上字の汚さも相まって少々読解に時間がかかる。
「……珍しいわね、あたしと精霊化の研究について話してる時にあんたが考え事なんて」
だがそのメモと睨めっこをしている間にリタにそう指摘され、思わずそこから視線を外しもう一度彼女を見た。ココアの入ったマグカップに口をつけながら、彼女は言葉通り物珍しそうにこちらを見ている。
「何か悩みでもあんの? ……って、あんたは慢性的に持ってたわね」
言葉を選ばないのは相変わらずだが、どうやら心配してくれているらしい。普段なら「気にするな」と返すところであるが、正直今の悩みは自分だけの問題ではない分、この少女に頼ってみるべきなのかもしれない。
「……モルディオ」
「何?」
「君を、エステリーゼ様の親友と見込んで相談があるのだが」
「だ、だから何よ」
親友と言う言葉がくすぐったかったのか、少し顔を赤くしてリタは続きを促してくる。
「……エステリーゼ様を傷付けることなく、フルールの恋を成就させるにはどうすればいいと思う?」
「………………」
戸惑いながらも口にした言葉に、しかし天才少女からの答えはしばらく返って来ない。たっぷり5秒間、沈黙が流れる。
「……はぁ!?」
そしてようやく帰ってきたのは、愕然と先程の言葉を聞き返す声だった。
アレクセイの話では、こうだ。
どうやら、先日パティに連れられて行ったレナンスラ岩虚で、パティとアレクセイが共に幸せになるという条件で2人のケジメとやらは落ち着いたらしい。もっとも、アレクセイ本人はそれに納得していないようだが。
だが負い目のあるパティにそう命じられてしまって、流石のアレクセイも他に打つ手がなかったのだろう。どうやら、どうすればパティが幸せになれるのか本気で考えてきたようだ。
しかし――
「だからその、フルールはローウェル君を好いているのだろう? ということは、彼女の幸せはローウェル君と結ばれることなのではないかと思うのだが、だからと言ってエステリーゼ様のお気持ちを無下にすることも出来ん」
(アホだわ……アホがいる……)
頭が痛くなるのを感じながら、リタは深刻な顔そのもののアレクセイの話を聞いていた。
リタも決して色恋沙汰に強い方ではないが、ここ最近のパティの言動や件の発言からして、彼女の想いが誰に傾いているかなど火を見るより明らかだ。だと言うのに、この男はグダグダグダグダと――
「あんた、どこぞのおっさんより性質が悪いわね」
「む、どういうことだろうか……?」
リタの言葉の意味もよく理解出来なかったようで、首を傾げるアレクセイ。その様子に「はぁっ」と吐いた溜息が、マグカップから上る湯気を揺らす。
こういう話は自分ではなく、それこそその「どこぞのおっさん」に持って行った方が良い反面教師になるのではないだろうか……などと言う考えも頭を過るが、実際に悩み事を聞き出してしまったのが自分であることを思い出し、どうしようもないやるせなさに肩を落とす。まったく、何が悲しくて30近くも上の男の人生相談に乗らなければならないのか。
「はぁ……パティについてのあんたの考えはよく分かったわ。で、あんたの方はどうなのよ?」
「私の方……?」
「そ、あんたの幸せって何? 言っとくけど、『自分に幸せになる権利なんてない』って言葉は受け付けないからね」
まさかここで本人の断りもなしにパティが傾き始めている相手をばらす訳にもいかず、リタは話を逸らして別の切り口を探すことにした。だが何となく聞いただけの問いに、アレクセイは困惑した表情。まるで、今まで考えたことがなかったとでも言うように。というか、本当に「自分に幸せになる権利などない」と考えていたような顔だ。
「私、は……そうだな、今更何を言うかと笑われるかもしれないが……世界が健やかならば……私はそれで幸せだ」
困惑の色を残したまま、アレクセイは苦笑する。そこでリタは、ようやく狂気に走らざるを得なかった彼の本質を理解したような気がした。
この男には、自分がないのだ。世界と言う巨大な概念に押しつぶされながらここまで来たと言うのに、その幸せな世界の中にアレクセイ本人は存在しない。彼にとって自分とはただ、世界の為に擦り減らす存在で……言ってみれば、他の人間をそう扱っていたのと同様、彼自身もまた駒でしかなかったのではないだろうか。
「あんた、自分のことぐらいもう少し具体的なモンに目ぇ向けられないの?」
とびきり大きなため息をついてから、リタはアレクセイに言った。このままでは埒が明かない、パティの為にも、彼にはもう少し自分に目を向けてもらわなければ。
「具体的……というと……?」
「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
だが元々気の長い方ではないこともあり、未だ要領を得ない様子のアレクセイに早くもイライラが頂点に達する。
「あーもうっ! とにかく、あんたが最近嬉しかったことを言ってみなさいよ!!」
「む、むぅ……」
何故怒られたのか分からないまま、ただリタに圧倒された形でアレクセイは考え始めた様子だった。
そのまま2、3秒腕を組んで黙り込み、ぽつりと彼は呟く。
「……フルールが……」
「ん?」
「この話をした時、フルールが初めて私に笑ってくれた。その時は混乱していたが、今思えばそれが嬉しかったように……思う」
そう言って、アレクセイははにかむような苦笑を浮かべた。
「彼女には、笑っていて欲しいと思う。私とのケジメなど関係なく、幸せになって欲しい、とも……。だからあの時、彼女の笑顔を見られて……そうだな、確かに私は嬉しかったのだ」
自分で噛みしめるように、彼はそう続けた。
その言葉を聞いたリタは、パティに心の中で呼びかける。「あんたも、かなりのニブチンに引っかかったもんね」と。
「……そーいうのの積み重ねが、幸せってもんじゃないの?」
だが、ここまでくれば少しは光も見えてきた。どうやら、2人の距離は思いの外狭まっていたようだ。
「世界だの何だのってのも、あんたにとっては幸せの条件かも知んない。でも、探してみればもっと近くにもあるでしょ? あんたが、幸せだって感じられることが」
何も、難しく考えることはないのだ。嬉しいこと、楽しいこと、それを純粋に感じられるところまで、この男は持ち直してきている。エステルやレイヴン、そしてパティのお陰で。だからこれからは、彼が今まで目もくれていなかった自分の気持ちを見つめ直せばいい。
「今回ばかりは、自分のことを最初に考えてみなさい」
――そうすれば、パティとのケジメとやらも自ずと片がつく筈だから。
今夜もまた眠れず、アレクセイは宿から抜け出して海を眺めていた。水平線の遥か彼方にあるのは、ザウデと、隠された墓標。そして少し視線を上げれば、満天の星空を隠すように蠢く星喰み。
精霊の力を借りてこの古代の災厄を打ち消すというリタとの研究は、かなり捗っている。未だ問題は山積みだが、並大抵の困難ではへこたれない若人達と一緒にいる内に、何とかなってしまうのではないかという気さえ生まれてきた。無論、その為に自分も全力を尽くすつもりではいるが。
「償う為でなく、希望を作る為に……」
あの時パティに言われた言葉を、自分の口で繰り返す。
海を、空を見る度に後悔はまだ胸の中で渦を巻き、罪悪感に押しつぶされそうになる。それでも自分は、裁きも受けずに倒れる訳にはいかないと、ずっとそう考えていた。
自分に、希望など作れるのだろうか……? 多くの者を絶望せしめてきた、この自分に。だがそれを命じてきたのは、自分が絶望せしめた少女に他ならない。
(――冷えてきたな)
そこで指先がすっかり冷たくなっていることに気付き、アレクセイは身を翻した。また風邪を引いて、彼女を心配させたくはない。
「……フルール……?」
宿のロビーに入ったアレクセイの目に映ったのは、ソファに横になったパティの姿だった。確か宿を出る時には夕食の片付けをしていた筈だが、まさか、自分のことを待っていてくれたのだろうか。
ソファの背もたれ側に向けられている為、パティの顔は見ることが出来ない。だが身体が規則的に上下している様子からして、ぐっすりと眠ってしまっているのだろう。
屋内とはいえこの場も肌寒く、アレクセイは羽織っていたローブを脱ぎ彼女の身体にかけてやった。そのまま片膝を立てた状態で、眠る少女の姿を見つめる。
「フルール……私は……」
自分を幸せにしろ、そしておまえも幸せになれ。そうアレクセイに言ってのけたきり、パティは自分からそのことに言及してはいなかった。アレクセイの方も、聞きたいことは多々あれ結局言葉に出来ないままなのだが。
「私には、君がどうすれば幸せになるのかはっきりとは分からない。だが、私は……君に笑っていて欲しいと思う。それが、私の幸せなのかもしれない……」
眠っている間にこんなことを言って、ずるい以外の何でもない。だが、今ここで浮かんだ言葉は本心以外の何物でもなく、あれこれ考えてしまう前に彼女に伝えておくべきだと……何となく、そう思った。
「だから、君のことは必ず幸せにして見せる。私にもまだ、希望を作れると言ってくれた君を、必ず……」
本当は、あの時あの場所で口にするべきだった誓いの言葉を眠るパティにかけてから、ローブの隙間からはみ出した金髪の三つ編みを手に取り、口づけた。
「っ!」
「!?」
その瞬間、パティの身体が跳ね起き、アレクセイの肩も思わず跳ねる。
「お、おおおおおまえっ!!」
「フルール……起きていたのか」
「耳元であれだけ喋り散らかされては誰でも起きるわ!」
「す、すまない」
真っ赤な顔でそう怒られてしまい、アレクセイは素直に謝る。だが、彼女が今の話を聞いていたというのならそれはそれで幸運だ。
「と、とにかく……遅くなってしまったが私の思いは今話した通りだ。私は、貴殿に幸せになってもらいたい」
「っ!!」
再度そう言うと、パティの頬が更に赤くなり、その顔を伏せて黙り込んでしまった。
「……? フルール……?」
「このっ……大馬鹿モン……!!」
片膝をついたままの状態だったアレクセイは、突然伸びてきた彼女の腕にあっさりと抱き寄せられた。
「あれだけ言っても、まだ気付かんのか……!」
「フルール……?」
もしやまた泣かせてしまったのかと一瞬冷や汗を垂らすが、どうやら様子がおかしい。泣いていると言うよりは、怒っているような、照れているような……。
「うちも、お前に幸せになって欲しいと思っておるのじゃ! うちは、お前のことが……す……っ、好き……なのじゃ!!」
叩きつけられた衝撃の告白に、アレクセイの思考が停止する。
「……貴殿が、私を……?」
「っ、ああ、悔しいがの……」
「そうか……」
「念のため言っておくが、異性として、じゃからな……」
「そう、か……」
パティの言葉を受け止めながら、パティの熱を感じながら、アレクセイは返す言葉を探す。だがどう返すべきか、すぐに頭には浮かばない。その代わり、パティの言葉がじわじわと心に染み込んで来ると同時に生まれたのは――言葉ではなく、想い。
「……フルール」
「何じゃ」
「私も貴殿が好きだ」
その想いを伝え、自分もまたパティに腕を回すと、怯んだかのようにその身体がびくりと震えた。
「ようやく分かった。私は、貴殿にずっと笑っていて欲しい……私の傍で。それは、貴殿を愛しいと思っているからなのだな」
一緒に傷を背負ってくれると言った彼女の背中を、抱きしめる。ああ、本当に自分は愚か者だ。あれだけ多くの者を傷付けて、その癖、傷付けてしまった者をこんなにも――
「……こんなどうしようもない大馬鹿者だが、それでも貴殿は……これからも私のことを好きでいてくれるか……?」
一度言葉にしてしまった想いが、次から次へと溢れて来る。腕の中の少女が、ずっと自分のことを見守っていてくれた少女が、愛しい……愛しくて、堪らない。
――しばらくして、緩んでいたパティの手に、また力が籠るのが分かった。
「海の女に二言はない……お前が、うちとの約束を忘れん限りはな」
アレクセイの服を掴んだパティの腕が伸びる。その動きに合わせて身体を離すと、見えるようになったのは、あの愛しい笑み。
「それまでは、こうして笑っていてやる」
願ってやまなかったパティの笑顔に、今度こそ心を奪われる。やはり少し泣かせてしまったのか、赤くなった耳と潤んだ瞳さえ、その愛らしさを引き立たせるものでしかなかった。
今はまだ朝靄の中に過ぎないけれど、そう遠くないうちに木霊する鐘はきっと……祝福の鐘――
大将はド天然なので、放っておいたら歯の浮くようなセリフを悪気もなくバンバン吐くから気をつけよう☆
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